中西麻耶 義足の美人アスリート 生い立ちとこれからの活躍に目が離せない人続出!!
今回のリオデジャネイロのパラリンピックで話題になった
義足の美人アスリート 中西麻耶選手をご存知ですか?
実力・美貌ともに兼ね備え
人気急上昇の中西麻耶選手ですが
まさに『人に歴史あり』で
数々の苦労や苦難を乗り越えて
今の輝く中西麻耶選手があるわけです。
そんな中西麻耶選手の
今までを振り返って見てみましょう。
中西麻耶選 プロフィール
本名:中西麻耶(なかにし まや)
生年月日: 1985年6月3日
身長: 158 cm
体重: 50kg
●出身地:大分県由布市庄内町
●血液型:A型
●学歴:由布市立庄内中学校 → 明豊高等学校 → 大阪社会体育専門学校
●家族:父・母・兄(医師)・妹(既婚)
●趣味:料理
●息子(彼氏?):りりぃー君(りす)
●尊敬する人:故 加藤大治郎(ロードレースレーサー:享年26歳)
●好きな曲:HIPPYの「大丈夫さ」
障害クラス T44
100m 13.85秒 (2009ジャパンパラリンピックにて)日本記録
200m 28.52秒 (大分陸上2008にて)日本記録
幅跳び 4m71cm (2009年ジャパンパラリンピックにて)日本記録
運命を変えた突然の事故
中西麻耶選手は
中学校から始めたソフトテニスで高校時代はインターハイにも
出場したことがある実力の持ち主です。
2003年に高校を卒業。
2008年のソフトテニスの大分国体を目指すため
トレーニングも兼ねて建築現場での肉体労働の仕事に就きます。
後にこの選択が
中西麻耶選手の運命を変えてしまいます。
運命の2006年9月14日
いつもの様に建築現場での作業中
重さなんと5トンもある鉄骨が倒れてきて
彼女の右足を襲いました。
幸いな事にこの段階ではまだ
接合して引きちぎられた神経を一つひとつ時間をかけつなぎ
リハビリする選択しもありました。
しかし
中西麻耶選手は
周囲の反対を押し切り、自分から右膝下切断という
通常では考えられない決断をします。
中西麻耶選手には
神経を繋ぎ時間をかけるリハビリよりも
切断し一秒でも早く2008年のインターハイに出場するための
練習に復帰したかったと言います。
その時の決断に中西麻耶選手は
『まったく迷いはなかった』といます。
下半身麻酔で意識ある状態での手術の最中ですら
中西麻耶選手の頭にあるのは『少しでも早くソフトテニスの練習に戻りたい』
という思いだけだったといいます。
当時、中西麻耶選手21歳のときです。
どれ程までに
目標への執着心が強く意志の固い女性なのでしょうか。
頭の下がる思いです。
手術は成功したものの
現実はそんなに甘くはありませんでした。
『義足さへつければすぐにでもテニスができると思っていた』と
話す中西麻耶選手。
実際は、バランスの崩れた身体では
まともに立つことも出来なかったそうです。
それでも必死にリハビリし
6か月後にはラケットを握れるくらいにまで回復しましたが
あれほどかたくなに追い求めたテニスを諦めることを決断します。
その決断がまた
中西麻耶選手に新たな運命を引き寄せます。
新たな世界との出会い
テニスを諦めた中西麻耶選手が
義足について調べている時に
スポーツ義足作製の第一人者 臼井二美男さんと出会います。
スポーツに対してどこまでもストイックであった
中西麻耶選手に臼井二美男さんは陸上競技を勧めます。
トラックでスポーツ義足をつけて颯爽と走り抜ける選手たちを見て
中西麻耶選手の心に新たな気持ちが沸き上がります。
中西麻耶選手は
始めてスポーツ義足を付けて走った時に
『走るって気持ちいい・・』と思ったそうです。
中西麻耶選手の新たな目標が陸上競技へと変わった瞬間
どこまでストイックな中西麻耶選手の快進撃が始まります。
陸上競技を目指して半年で
なんと!100メートルと200メートルの日本記録をいきなり打ち立てます。
その後、2008年にはオリンピック選考の国際A標準記録を超え
北京五輪にも出場しました。
陸上を目指してわずか1年6か月の事です。
その後、走り幅跳びの種目にも挑戦。
2009年に走り幅跳びの日本新記録を樹立します。
2012年にはロンドンオリンピック出場。
走り幅跳びで8位入賞。
2016年のリオオリンピックでは
走り幅跳びで4位入賞の快挙です。
不幸な事故にして
義足になってしまった中西麻耶選手。
アスリートとしては
準中満帆の様に見える中西麻耶選手ですが
ここまでの道のりは壮絶なものがありました。
睡眠時間2時間 世間からのバッシング
中西麻耶選手は
資金難から世界選手権出場を断念したことがります。
3種目で日本記録保持者が世界選手権に出場できないなんて
この国や協会の杜撰(ずさん)さはヒドイ状態です。
そんな中西麻耶選手は
夕方6時〜朝3時まで焼肉屋でバイト、
車の中で2時間仮眠したあと朝7時から宅配寿司の仕事。
ほとんど寝ずに競技費を捻出しながら練習もするという
殺人的な生活を過ごします。
年間活動資金は最低500万円かかり
義足ひとつ150万円以上するものもあり
すでに海外への遠征費などで借金が300万円ほどあったと言います。
そんな中
中西麻耶選手は競技費を捻出するため
自信のセミヌードカレンダーを出す事を決断します。
これが
世間から大バッシングを受けることになりました。
心無い偽善者たちの声にさらされ一時は
うつ病にまでなってしまったと言います。
日本記録をもつトップアスリートの中西麻耶選手が
ここまでしなければ競技に出場することも
続ける事もできないこの現状にこそ声を上げるべきと
思うのは間違いでしょうか?
そんな状況の中、出場した
2012年のロンドンオリンピックは結果が出せませんでした。
この状況から中西麻耶選手は一時
引退も考えたそうです。
しかし
持ち前のストイックな強靭な心を持つ中西麻耶選手は
応援してくれる人に後押しされ2013年3月に本格的に復帰。
翌年の2014年のジャパンパラ大会では
なんと!5メートル27という大ジャンプを記録し
アジア記録を樹立します。
2016年4月には自己ベストを更新する5メートル48で優勝。
翌月の2016年5月には
さらに更新し5メートル51の大ジャンプで優勝します。
世界記録の5メートル74までもう少しですが
中西麻耶選手は2020年の東京パラリンピックまでに
「6メートルを飛ぶ!」と公言しています。
なぜ中西麻耶選手が世界記録よりも上の6メートルと
公言しているかというと
6メートルを飛べるようになれば
通常の大会の全日本選手権の参加資格の6メートルを
クリアできるからです。
目標が世界記録ではなく
新しいステージへとすでに向いている。
どこまでもストイックで志の高い女性なのでしょう。
ここまで純粋にストイックに未来を見据え
夢を現実にすべく頑張っている中西麻耶選手。
この内面から来る気持ちが
誰もが振り向く美しさと輝きを放つのでしょう。
あなたも
中西麻耶選手を応援せずにはいられなくなったと思います。
中西麻耶選手の近情は
中西麻耶オフィシャルブログ ⇒ 「BLADE RUNNER MAYA」
中西麻耶 (@mayanakanishi) ⇒ Twitter
こちらからいつでも確認できます。
これからの中西麻耶選手の活躍に
目がはなせません。
中西麻耶選手が一番高い場所から
私達に「麻耶スマイル」を見せてもらえるように
応援していきましょう!